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裁判員裁判を担当して(その2)

2010.01.17

 

 昨日のブログで「裁判員裁判では、これまでのやり方では通用しない。」と申し上げました。

 既にいろいろなところで言われていることですが、裁判員裁判とこれまでの裁判とを比較して弁護人が変えなければならないことは、以下の点に集約されると思います。

 とにかく、これまでの弁護活動とは異なり、弁護人の主張を平易にわかりやすく伝えることに最も神経を注がなければならないということです。

 具体的に申し上げると、次の3点です。
 まず、これまでは、共通の知識と認識を持つ(職業)裁判官・検察官・弁護人の間でわかれば良かったわけですが、裁判員は、社会的な経験は豊富ですが法律的な知識があるわけではありません。
 専門用語は短い言葉で正確な意味を伝えることができ、法律家にとっては非常に便利で使いやすいものでした。実際、法廷で日頃使われている言葉は、あまりに特殊(変)で、一般の方が聞くと何を言っているかさっぱりわからないと思います。
 裁判員裁判では、その専門用語が全く使えません。しかし、私達はあまりにも日常的に(変な)専門用語を使うことに慣れすぎてしまっており、何が専門用語で何が専門用語でないかという区別さえわからなくなっています。そのため、言葉の選択に非常に苦労しました。

 二つ目は、これまでの弁護活動では、どれだけ多くの主張を盛り込めるかという「足し算的弁護活動」だったのと比較して、裁判員裁判では、どれだけ言うことを削ることができるかという「引き算的弁護活動」を余儀なくされるということです。
 たくさんのことを盛り込もうとすると、肝心な部分がどうしても薄まってしまい、説得力を欠くことになります。
 これまでの「足し算的弁護活動」を徹底的に教育された身にとっては、コペルニクス的発想の転換が必要となるのです。
 これも結構辛いものがありました。

 もう一つは、やはり表現の仕方への工夫が必要ということです。
 その良し悪しは別として、裁判員の感情や感受性に訴えかけられるような弁護活動をしなければならないということです。演説の上手下手によって裁判員の心証はかなり左右されるように思います。その意味で、(言葉は不適切かもしれませんが)弁護人の表現力が裁判員裁判では非常に問われるということをひしひしと感じました。


 
 

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