最新情報詳細 一覧へ

< 一覧へ

いわゆる一つの宗教

2010.07.30

 

 先日、司法修習生数人と食事をご一緒する機会に恵まれました。

 その時、私は、修習生に「司法改革の結果、法科大学院を卒業しなければ司法試験を受けられなくなったことについてどう思いますか?」「司法試験合格者数を絞ることについてどう思いますか?」といったことを尋ねてみました。

 修習生は、それぞれ法科大学院制度自体に問題があることは認めつつも「皆と一緒に勉強できて法科大学院時代は大変楽しかった。総論反対各論賛成といったところでしょうか。」等々それぞれ御意見を仰っていました。
 ただ、法科大学院制度についての意見や意見のトーンは、微妙に修習生によってバラツキがあるように拝見しました。

 ところが、司法試験合格者数を減らすことについては、異口同音に「減らせとは言いにくい。」と言われます。

 私がその理由を尋ねると、これまた異口同音に「自分が司法試験合格者を激増させた恩恵に預かっているのに、合格した途端に減らせというのは人間として憚られる。」ということと「友達や後輩が必死で受験している姿を思い浮かべると、可哀想で減らせとは言えない。」という2つの理由を上げられます。

 「司法試験に合格しても、就職先もない。仮に就職できても、結局、家族をも養っていけないようになるのだから、そちらの方が可哀想じゃないですか?まだ、合格者数を絞って司法試験に合格しさえすれば就職先があるとか、最低限の生活費程度は捻出できるといった方が知人や後輩にとっても良いのではないですか?」と尋ねると、修習生は、「僕たちは、どこかで、司法試験に合格すれば、きっと『何とかなる』と思っているんでしょうね。」と言われます。

 そこで、更に私の方から「司法試験合格者数1000人でも、5万人近くの弁護士が排出される。他方、少子高齢化社会で人口は激減し、その上、半数近くが高齢者という逆ピラミッド型社会になり、経済活動は衰退する。『何とかなる』とは私には思えないのですが、『何とかなる』というのは、どのような根拠で言われているのですか?」と尋ねました。
 
 すると、修習生は、「根拠はありません。ただ、漠然と『何とかなる。』と思っているだけです。」と言われます。
 
 それ以上、聞くのは酷だと思い、その会話は止めてしまいましたが、私は司法改革推進論者と話しているような錯覚に襲われると同時に、「ガーン」と頭を殴られたような気持ちになりました。

  「信ずる者は救われる。」

  道理で、この10年間、どんなに理論的な説得を試みても説得できないはずでした。

  だって、これはいわゆる一つの宗教なのですから。。。

 
 

 

pagetop