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検察庁法改正に何故反対するのか。

2020.05.15

 

 検察庁法改正について、日本弁護士連合会が、各単位会が、そして、弁護士が下記の通り多数反対しており、元検事総長の方々までが反対の意見を表明しています。  

 私も検察庁法の改正に反対しており、検察官勤務延長問題共同アピール(https://ruleoflawcrisis.myportfolio.com/)の賛同者にも名前を連ねています。

 今回、様々問題はありますが、一番の問題は、検察庁という司法機関や司法制度に対する「中立公正性さ」が失われることだと思っています。

  私は、検察官の定年延長自体は問題ないと考えています。また、黒川氏が過去、政府寄りの権限行使をしたか否か、黒川氏の人間性等も私にはわかりません。政府が恣意的に検察庁の人事権に介入しようとしているのか否かもわかりません。

   しかし、黒川氏の定年延長を閣議決定で決め、その後、後から帳尻合わせをするかのごとく、あたかもえこひいき的人事権発動をするかに見える形で、しかも、不要不急の用事はするなと言っている政府自らが、コロナウィルス対策に全国一丸となって当たらねばならないこの時期に、多くの人が反対をしているにもかかわらず、拙速に法律改正をしようとする、その無理な行動により、検察庁という司法機関の中立公正性さに対する信頼が損なわれかねないことから反対しているのです。
  これが平時に、また、まずは、定年延長の法律が先に改正される等経緯が異なれば、反対するには及ばなかったかもしれません。

   我が国は三権分立により司法・立法・行政が互いにけん制し合うことで、国家権力が互いに暴走しないようなチェック&バランスのシステムを採用しています。政府が検察官の人事に不当に介入しているとすれば、三権分立に反するでしょう。

   検察官は、刑事手続きを行う上で公訴権を独占しています。日本の有罪率が99.9%との数字が話題になりますが、これは、検察官が有罪へ持ち込めないような事案については起訴を控えているからです。検察官が起訴しなければ、基本的には刑事裁判手続きが開かれることはなく(例外はあります)、検察庁は準司法的作用を持っています。

 司法は、立法や行政等多数決支配によりこぼれ落ちた人権を個別の事件解決を通じて是正するシステムです。そのため、多数決支配から司法機関をある程度隔絶しておく必要があります。そのため、検察官や裁判官の権限行使には自主独立性が強く求められ、検察官も裁判官に準じた身分保障が認められているのです。
 司法制度の合理性の担保は、もっぱら司法機関の自主独立性に基づく中立公正性さによって、図られているとも言えます。
 そのため、司法機関に対する中立公正性さに対する信頼に一点の曇りも見い出せないようにしておかねばなりません。

  この点、検察官の人事に内閣が介入するのは、強大な検察権限に民主的支配を及ぼす観点から当然との意見もありますが、この意見は、検察官が準司法権限を担うことからして、むしろ民主的コントロールを回避させる必要が高いとの見地から賛同できません。

山尾志桜里議員が指摘しておられる通り(https://note.com/shiori_yamao/n/n88340294421b?fbclid=IwAR1dT-MZM0RlCNpTAPehVYlh8PuhED-u5DpMzJuo9S9Jb99B0bwSl2WayH0)、検察官は、内閣総理大臣でさえ起訴し得る権限を持っています。その検察官が内閣総理大臣と「べったり」との印象を持ち得るとしたら、一般国民は、そのような検察庁を信頼することができるでしょうか。

 検察庁に民主的コントロールを一切及ぼしてはいけないと言っているわけではありません。
 司法制度は、そもそも民主的機関である国会が作った立法に基づく判断しかできません。検察官も法律に基づかずに起訴するなどということはあり得ないのです。その意味で、司法には民主的コントロールが一定程度及んでいます。
 また、検察庁に対しては「法務大臣」が「検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができ」(検察庁法第14条)「検事総長、次長検事及び各検事長」「の任免は、内閣が行」うとされており(同法第15条)、微妙なバランスの下で民主的コントロールは及んでいます。
   
 今回の件で、仮に、黒川氏が百年に一度の素晴らしい人材だったとしても、実際に恣意的な人事権の発動が行われりlることがなかったとしても、司法機関の中立公正性さに対する国民の信頼が揺らぐ以上、今回の検察庁法改正は見送ってもらわなければならないと思います。

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