最新情報詳細 一覧へ

< 一覧へ

思い出すこと=髑髏とメメント・モリ(死を忘れるな)(4)

2021.03.07

 

思い出すこと=メメント・モリ(死を忘れるな) その4
                        武本一美

3.メメント・モリ(死を忘るな)
 ミスチルの曲に「花~Memento-Mori~」があり、機動戦士ガンダム00『2nd』では巨大自由電子レーザー掃射装置の名がメメント・モリになっているが、メメント・モリ(memento mori)とは、元来はラテン語で「死を忘るな」という意味である(memento:記憶せよ mori:死)。
ローマ時代には、メメント・モリは、明日死ぬかもしれないから今日を楽しもうという意味で使われていたが、キリスト教の普及とともに、現世の富や名誉や享楽の虚しさを自覚せよという意味に変わった。
 中世以降、西欧では、この意味でのメメント・モリとして、髑髏が使われてきた。墓所のむき出しの人骨、ヴァニタスで描かれた髑髏は、共に人生の虚しさを見る者に印象付けている。それ以外にも、中世以来、死の舞踏というモチーフもメメント・モリのために好んで画かれる。これは、骸骨が踊る、あるいは骸骨と踊るというものである。現在でも、東京ディズニーランドのお化け屋敷ホーンテッドマンションで、骸骨と踊る花嫁、髑髏に変わる花嫁というアトラクションを見ることができる。
メメント・モリのために髑髏を用いることは、西欧だけに限られたことではない。日本 でも、一休和尚が、元旦、みな新年に浮かれているところへ、竹竿の先に髑髏を括りつけ、「御用心。御用心。」と門々を廻った。これに腹を立てた人が、「縁起でもない事をするな。」と一休和尚に食って掛かると、「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 と詠んだのである。

 メメント・モリを知ったのは、20代の後半だっただろうか。絵画を通じてであった。その絵の中では、修道士が机の上に髑髏をおいて沈思していた。つまり、ヴァニタスである。かたわらには蝋燭が燃え、静謐という印象を与える絵だった。
我々はいづれ死ぬ。それを忘れないことは、大切なことだと私は思った。修道士のように、メメント・モリのために何かを身近に置きたかった。現代の日本では、当然ながら髑髏を置くことはできないし、それを置きたいわけでもなかった。
暫くあれやこれやと考えて、見つけ出したのが徐渭の詩だった。
徐渭(1521-1593)は、明代の文人で、書・画・詩・詞・戯曲・散文でそれぞれ天才的な作品を残した。科挙には及第できず、役人になれなかったが、前半生はそれなりに恵まれていた。しかし、中年以降は困窮し、9回の自殺未遂をする。45歳ごろには嫉妬妄想からだろうか妻を殺害し、7年の獄中生活を送る。自ら「書が第一,詩がこれに次ぎ,文はこれに次ぎ,画はまたこれに次ぐ」と言っていたというが、私は、書の鑑賞から徐渭を知った。不気味な感じすら受ける特異な書だった。次いで、数は少ないが詩も読んだ。
 私が見つけた徐渭の詩は、葡萄図(題葡萄図、墨葡萄図とも)というものである。

pagetop