最新情報詳細 一覧へ

< 一覧へ

法科大学院の理念?

2011.11.06

 

 先日、法科大学院制度を推進されている弁護士の皆さんとお話しをする機会がありました。

 その中の説明で「法科大学院の理念は、旧試験があまりにも難しすぎて合格者の平均年齢が上がり、受験生が減っており、非法学部出身者も減り給源の多様性が失われてきていたことから、法科大学院制度に移行することになった。」旨の説明がありました。

 私は、法科大学院制度の理念の不合理性を改めて認識しました。

 なぜなら、旧司法試験制度の下では、統計上、受験者数はほぼ右肩上がりで増え続け、合格者の平均年齢も徐々に下がってきており、非法学部出身者の合格者数の割合も増え続けていたからです。

 「旧試験が難しすぎて合格者の平均年齢が上がり」云々は全て統計に基づかない嘘偽りのプロパガンダに基づいたもので、もし、これらが法科大学院制度の理念であるというのであれば、導入の必要のなかった制度だということになります。
 なお、私が拝見したこれら統計は法科大学院推進の方々の方から資料として配られたものでした。
 
 これに対して、法科大学院推進の弁護士は
 「新試験下での合格者の平均年齢が28.5歳で、旧試験時代の合格者の平均年齢が27.74歳なら、新試験制度と旧試験制度とであまり変わらないので良い。」
 「旧試験下で非法学部出身者が263人(平成17年当時)で、新試験下での非法学部出身者が395人(平成22年当時)となっており、新試験制度下の方が非法学部出身者の方が数が多いので、給源の多様性は満たされている。」
と言われました。

 これまた私は心底驚いてしまいました。

 なぜなら、例えば、合格者の平均年齢で言うと、新試験制度では、法科大学院卒業後、5年間で3回の受験制限というものがあるため、新試験制度で6年以上かかるといったことが理論上あり得ないからです。
 これに対し、旧試験制度の下では受験制限は全くありませんでしたので、20回でも30回でも受けることが許されました。
 にもかかわらず、旧試験制度の下でも合格者の平均年齢は毎年低くなってきており、丙案導入前の平成7年度の合格者の平均年齢は27.74歳)に過ぎませんでした。
 新試験制度下で平均年齢が上がらない制度的仕組みを敢えて等閑視して「旧制度と新制度とで変わらないから良い。」とはあまりにもあんまりです。
 新試験下で作為的に上限に制限を設けたにもかかわらず、旧制度と平均年齢が変わらないどころか上昇しているということは、平均年齢を下げると言う目論みは失敗しているのは明らかなのですから。

 私は、合格者の平均年齢が低い方が良いとは思いません。しかし、法科大学院制度の理念が合格者の平均年齢を下げるためだったとすれば、その法科大学院の理念は既に破綻していることが統計で証明されているのです。

 また、非法学部出身者が増えたというのも、母数が増えたのですから、当たり前です。以前は500人だった合格者数を2000人と4倍に増やしたのですから、非法学部出身者の数が4倍になるのがむしろ当然なのです。
 にもかかわらず、「新試験制度下では非法学部出身者の合格者の数が増えているから給源の多様性は充足されている」と言われたのでは、ご都合主義とのそしりは免れないでしょう。
 分母が異なる以上、非法学部出身者の占める割合でみなければいけないに、母数の違いを敢えて無視して分子だけを比較するというのはあまりにも酷すぎます。

 この点、割合で言うと、旧試験下でも年々非法学部出身者の割合は上昇し続けており、平成17年度には18%に達しています。これに対し、新試験下での非法学部出身者の割合は、平成19年のピークから年々減少し続け、平成22年度には19%にまで下がっていますが、減少傾向が改善される見込みはなく、今後は更に割合が低くなることが予想されます。

 法科大学院制度に移行してから、法科大学院の理念が実現されていないことからしても、もともと法科大学院の理念自体が欺瞞に満ちたものであるということは明らかです。
 もともと旧制度を改良するとのふれこみで法科大学院制度を導入したのです。
 にもかかわらず、変わらないどころか、法科大学院の理念と言われた数値さえ悪化していると言うのであれば、法科大学院を導入した意味はありません。

 経済的差別、学歴差別、大学の改革、授業内容の問題等々法科大学院制度の多くの弊害に鑑みて、法科大学院制度は全体として、法科大学院は既に失敗であることは、誰しも認めざるを得ないのではないでしょうか。

 

pagetop