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2012.11.17
法科大学院を設立する際、司法試験合格者の「予備校によって教えられた論証パターンを丸写しする答案が多い。」「考えない答案が多い。」などといった批判が行われていました。
この批判は、いろいろな意味で誤ったイメージに基づた不当な批判であると思います。
一つは、大阪の坂野真一弁護士のブログでも書かれていましたが、旧司法試験時代においても論証パターンを丸暗記しただけで合格することはできなかったということです。
えてして司法試験受験生でさえこのような誤ったイメージを持つことがあります。かくいう私も「論証パターンをひたすら丸暗記すれば合格できる。」と勘違いしていました。そのため何年も苦渋をなめることになりました。ある時、それが間違いであると気づき、「考える」勉強に変えた瞬間に合格できました。
そもそも司法試験は、いかにも典型的な問題というものはなく、必ずこれまで考えたこともないような論点が付加されています。司法試験の問題を見て初めて考えなければならない事象が必ず入っていたのです。そのため、ある程度基礎的な論点について論証パターンを固めたとしても、初めて見る論点については自分の頭で考え、基礎的知識と論理を駆使・応用して論じなければなりませんでした。そのため、予備校の論証パターンの丸暗記だけでは決して受かることができなかったのです。
時折、非常に基礎的な論点について、シンプルに問うといった問題もありました。その場合、受験生は、他の受験生よりも抜きんでるために、何についてどのように論ずるか、非常に頭を悩ませました。基本的な問題の場合は、どうしても独創的なことを書きたくなってしまうのですが、その場で思いついた独創的なことを書いてしまったがために、論理破綻をきたすといったことも良くありました。そのため、超基本的な問題の時こそ、何をいかに論ずるかについて受験生の実力が試されたものでした。
もう一つは、「そもそも紋切型の論証パターンの活用が間違ったことなのか。」という問題です。
司法試験は実務家を育てる試験です。学者を育てる試験ではありません。学者の論文ならば、独創性が必要でしょうが、実務家はそうではありません。また、独創性が求められる学者の論文であってさえ、基本的な前提となる法知識や論点については、パターン化して論じられることもあるのですから、実務家としての資格審査である司法試験において論証パターンを書くことが悪いとは言えないのではないでしょうか。
また、予備校が悪の権化のような言われ方をしますが、予備校の授業は、こと実務家法曹の養成という意味では、非常に素晴らしかったと思います。勿論、大学の授業といっても様々で一概に言うことはできませんが、実務家法曹の養成という意味において、大学の授業が予備校よりも押し並べて優れていたとは必ずしも言えないと思います。
そして、大学の第一の目的は研究なのですから、仮に授業が下手でもそれは悪いことではないと思っています。
今の法科大学院において、学者は、授業の良しあしが評価の対象になり、学生に何回質問したかといった形式的な回数も評価の対象とされています。司法試験合格率が補助金削減に直結しています。
そのため、学者は、研究の方がおろそかになろうとも教育の方に重点を置かざるを得ない状況が生まれています。その結果、学者が研究に割ける時間と労力は極めて限られ、今や学者の研究レベルは法科大学院志願者数の推移と同じような、急激な右肩下がりの折れ線グラフを描いていると思います。
いい加減に誤ったイメージに踊らされるのは止めて欲しいと思います。