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2015.05.29
平成27年5月22日付「法律新聞」(第2094号)弁護士武本夕香子「寄稿 『日弁連の2015年会務執行方針に物申す』より引用
「 付言すれば、「司法と日弁連の歴史」や「経緯」などを斟酌するというのは、市民には全く関心の外であり、典型的な「井戸やコップの中のような議論」で『自分たちだけの「正義」』というべきものでしょう。
更に、この部分にも、第1項と同じ含意として不適切な部分があります。
当然ですが、「独りよがりや原理主義と批判されるような言動は排さなければなりません。」の部分です。
批判としては、前項と全く同じ議論になりますが、同じ間違いを何度もするというのはそれだけ問題が根深いということでしょうから、私も繰り返し批判したと思います。
まず、「独りよがりや原理主義と批判されるような言動は排さなければなりません。」が日弁連の行動原理として誤りであることは、既に述べたとおりです。
しかし、この部分は、村越会長が、「独りよがりな言動をする会員がいる」、「原理主義的な会員がいる」と考えていると取られるおそれがあります。
日弁連の会長が、このような発言をするのは不適切です。
会長がこのように考えるかもしれないと表明すれば、当然理事会の議論には抑制がかかるでしょう。
そもそも、何らかの言動に対して、「独りよがり」だとか「原理主義的」だとかいうレッテル貼りをして、葬り去ろうというのは感心できません。
言動に対する評価は、あくまで論理性と実証性に照らして行うべきです。
それを「独りよがり」とか「原理主義的」とかいう、内容不明瞭な形容詞でレッテルを張るなど、あってはならないと思います。
また、「排さなければなりません」という言い方も問題が多いでしょう。これほど、対話拒否、議論拒否の姿勢が明瞭な用語もありません。誰かが、「独りよがり」とか「原理主義的」とか判断すれば、「排される」のですから、会内民主主義の観点からして不適切な表現であると言わざるを得ません。
3 「3 日弁連と弁護士会の結束を大切にする」について
第3項では、
「日弁連内には、様々な問題について異なる意見が存在します。」
「相違や対立を克服し、『会内論争に終始しばらばらで相手にされない日弁連』ではなく、『社会に向けて一致して発信し行動する力強い日弁連』を目指します。日弁連としてぶれない一貫性、ころころと変わらない継続性、そして責任感が必要です。」
と記載されています。
前段は、会内論争に終始しているわけにはいかない、会内の意見を一致させ、弁護士会が一丸となって発言し行動すべきとの主張で、それ自体は必ずしも間違っているわけではないと思います。
問題は、会内での議論が鋭く分かれる時、誰の意見を通し、誰の意見を譲歩させるべきかであると思います。
この問いに対する村越会長の意見は、後段の「ぶれない一貫性、ころころと変わらない継続性」との記載に鮮明に表れています。
すなわち、村越会長は、司法改革を進めてきた日弁連が司法改革に対して立ち止まるべきではなく、従って、司法改革を進める人たちの意見を通すべきで、司法改革に反対する人たちの意見をこそ譲歩させるべきであるということが言いたいのでしょう。
しかし、司法改革が始まってから15年が経ちます。その間、法曹志願者は激減し、法科大学院は学生募集停止校が相次いでいます。
弁護士の就職難は解消されるどころか悪くなる一方であり、弁護士の不祥事も多発し、増加傾向が見受けられます。
裁判所の新受事件数は、家事事件以外ほぼ右肩下がりで減少し続け、弁護士の登録抹消件数も増えており、弁護士登録してまもなく登録抹消する人の数も増えています。弁護士の活動領域の拡大は遅々として進んでいません。
司法改革による社会的弊害は深刻になる一方です。
このような現実を前にしてもなお、司法改革による社会的弊害に目をつぶり司法改革を進めると言うのは、市民の利益にならず、社会正義に反すると思います。
にもかかわらず、司法改革を進めたのが日弁連だからといって日弁連としての「ぶれない一貫性、ころころと変わらない継続性」といった日弁連の体裁を取り繕うことに腐心するのは間違っています。
基本姿勢であるのに、同じことが何度も言われるので、私も同じことを繰り返します。
日弁連が「ぶれない一貫性」や「ころころと変わらない継続性」を誇ろうと、そんなことは市民の利益には無関係です。市民の関心の外です。
市民の目からは、典型的な「井戸やコップの中のような議論」で『自分たちだけの「正義」』というべきものでしょう。」(つづく)