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2020.03.08
下記は、昨日の夫の「世界は救いで満ちている。」その2です。
記
更に3年、うんざりすることだが、また癌になった。そして、また積貞棟へ入院した。今度は、小腸がんという珍しいものだった。術式は、これまでの腹腔鏡手術ではなく開腹手術となり、不安は前回より強かった。だから、今度はあの世界へ行けるのではないかと思った(何か不謹慎なことを書いているような気もするが、自分のことなのでご容赦いただきたい)。
しかし、あの世界は現れなかった。ただ、一瞬だけ、近づいたような気がしたことがあった。それは、やはり手術の非常な苦しさが去った4-5日後のことだった。私は、夜明け前のエレベーターホールを、点滴台を押しながらゆっくり歩いていた。他にも数人の患者が既に起きていて、ソファーにかけたり、外を眺めたりと思い思いに時をやり過ごしていた。手術後の患者は寝ることが仕事のようなものなので、終日横になっている。だから、朝早くから目覚めてしまう者は少なくない。癌病棟の朝は早いのである。
足を止め、外を見ると、東山の上空が白んできた。京都市街の方に目をやると、町はまだ闇の中に沈んでいた。東山の空は段々と白さを増し、その稜線の1点が特に真っ白になった。その裏に太陽があることは明らかだった。そして、ついに太陽の先端が稜線にかかった。その瞬間、一条の光がレザービームのように京都市街へと放たれた。それから後は、津波のような光の渦が押し寄せるばかりだった。眩しさで目がつぶれるのではないか・・・と思ったとき光の渦は消え、目の前には見慣れた京都の朝があった。瞳孔反射で入ってくる光が絞られたんだなと考えると同時に、神様がいるなんてあたりまえじゃないかと思った。ほんの一瞬のことだったが。
そんなことがあってから、苦しい時には救いがやって来ること、この世界のどこかではなく、この世界にぴったりと重なって救いに満ちた世界があるということは、私にとっては当然のこととなった。今は全く感じられないとはいえ、実際に体験したのだから。
子供のころから、私は死が怖かった。恐ろしくて眠れないこともあった。そして、今こんな年になっても、まだ死は非常に恐ろしい。しかし、死を迎えるときには、また、あの世界に行けるだろう、救いはやってくるだろうと思うと少し気が楽になる。
聞くところによると、臨終の際には、阿弥陀様が諸菩薩とともに紫雲に乗って迎えに来てくれるらしい。私は無神論者だが、今はそんなこともあるかもしれないと思っている。例えば、下あごを大きくひいて呼吸する下顎呼吸は死の直前にだけ現れる。それと同じように、死の間際にだけ阿弥陀様のような方が迎えに来てくれる幻覚が現れるよう人間はプログラミングされているかもしれない。それがプログラミングだとしても、その方に会えることには違いがない。
そして、私の信じるところでは、阿弥陀様は、相手が成功者であっても失敗者であっても、善人であっても悪人であっても、「お疲れさま、よく頑張ったね。」と声をかけてくれるのである。