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2021.03.10
思い出すこと=メメント・モリ(死を忘れるな) その5
武本一美
葡萄図
半生落魄已成翁
獨立書齋嘯晚風
筆底明珠無處賣
閒抛閒擲野藤中
(葡萄図 半生落魄して已に翁となり 一人書斎に立って夕べの風に詩を吟じている 傑作はできるのだが売るところがない いつも野の藤の中に投げ捨てている)
この詩を自分の髑髏にしようと決め、20代の終わりから、時に口にし、時に紙の端に書いた。そして、自分の死を思った。この詩は、零落した老年期のことを詠んでおり、死を言ってはいないが、20代の私には、死も年老いることも大きな違いがなく思えていたのだろう。髑髏と比べるとかなり霊力は落ちるが、メメント・モリのために、この詩は貴重であると思ってきた。
しかし、年を重ねて今思い返すと、残念なことにメメント・モリは私の人生に、たいした影響をもたらさなかったように思える。メメント・モリは警告する。「死は確実に訪れ、我々から全てを奪う。現世の富や名誉や享楽は虚しい」と。それは、まぎれもない事実だ。では、人生に虚しくないもの、真に価値あるものが、どこかに準備されているのか?そんなステキなものは、絶対に見当たらない。のみならず、有ってはならないものなのだ。
神様や仏様がおわせば、真に価値あるものを示してくれるだろう。中世の西欧なら、現世のすべては虚しいからキリストを信ぜよと、一休和尚なら、一念発起して仏道に励めと。それらが真に価値あるものであったのだ。だが、現代人には、受け入れられることではない。
結局、私は、現世の富や名誉や享楽は虚しいとわかっていても、真に価値あるものへ向かって歩き出すことはなかった。その意味で、メメント・モリは私の人生にたいした影響をもたらさなかったし、徐渭と同じように失敗した人生を送ってしまったという悔恨もある。ただ、失敗した人生を送ってしまったとしても、もともと人生は虚しいのだから、悔やむ必要もない。メメント・モリは、私に人生において、こうした言い訳にのみ役立ったかもしれない。